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転倒モーメントがわかる:重心位置との関係と計算方法について

建物が地震で倒れるのは、柱や梁が損傷して重さを支えられなくなるからです。ですので、柱や梁を地震に耐えられるよう頑丈にすれば問題は解決します。

 

しかし、どれだけ柱や梁を補強しても倒れてしまう場合があります。

 

例えば、本棚や食器棚のような背の高い家具は地震でよく倒れますが、棚自身に損傷があるわけではありません。倒れた衝撃でガラスが割れることはあっても、立て起こしてやればそのまま使用することができます。

 

つまり、何かモノが倒れる場合、「壊れて倒れる場合(倒壊)」「壊れていないのに倒れる場合(転倒)」の2つのケースがあるということです。

 

そして、後者の「壊れていないのに倒れる」を引き起こすのが「転倒モーメント」です。ここではモノの転倒について、具体的な計算例を交えながら説明していきます。

 

 

転倒モーメントとは

読んで字のごとく、モノを「転倒」させようとする「モーメント」のことです。そしてモーメントとは「回転させる力」のことをいいます。

 

モーメントが発生するのは「力を加えた位置」と「力を支える位置」がズレている場合です。そしてモーメントの大きさは「力の大きさ」と「ズレている距離」に比例します。

 

地震の際、建物や家具を支えているのは足元で、地震の力が生じるのは重心位置(概ねモノの中心位置)です。また、力の大きさはモノの重さ(質量)に加速度を乗じたものになります。

 

そのため、転倒モーメントは以下の式で表すことができます。

 

転倒モーメント=重心の高さ×質量×加速度

 

転倒に対する抵抗力がこれよりも大きければ転倒することはありません。

 

転倒に対する抵抗力

モノが転倒しないように抵抗する力とはなんでしょうか。

 

モノを転倒させようとするのは「力」と「距離」を掛けた「モーメント」でした。ということは転倒に抵抗するのも「モーメント」ということになります。

 

ではまず「力」について考えてみましょう。

 

足をそろえて立っている人の左肩を右に押すと、右足は踏ん張り、左足は浮き上がろうとします。「浮き上がる」ということは「上方向に移動」しているということですから、転倒させるということはモノを持ち上げているのと同じことなのです。

 

モノを持ち上げる抵抗とは重さのことです。つまり「重力」によって転倒に抵抗するのです。

 

「力」はわかったので、次は「距離」について考えてみましょう。

 

先ほどの左肩を押す例では左足が浮き、右足が踏ん張っていました。地面に接しているのは右足だけという状況です。

 

当然右足は体の中心からやや右側に寄っているわけですが、重心は体のちょうど中心にあります。重心が中央、地面に接するのは右側ということで、力が作用する位置と力を支える位置とがズレます。

 

これで晴れて転倒に抵抗するモーメントが生じることになりました。

 

転倒モーメントの計算例

では実際に転倒するかどうかの計算をしてみましょう。

 

手で押す場合

下の図に示すような1辺が40cmの立方体(10kg)を4つ組み合わせた①から④の4種類の物体について考えます。一番上を手で真横に押した場合にどのくらいの力で転倒するでしょうか。

 

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①②の場合

物体に作用する重力:10kg×9.8m/s2(重力加速度)×4個=392N

支点と重心との距離:20cm

物体を押す点の高さ:120cm

⇒ 392×20cm/120cm=65.3Nで転倒する

 

②の方が重心位置が高くて不安定に見えますが、転倒させるのに必要な力は同じです。

 

③の場合

物体に作用する重力:10kg×9.8m/s2(重力加速度)×4個=392N

支点と重心との距離:40cm

物体を押す点の高さ:120cm

⇒ 392×20cm/120cm=130.7Nで転倒する

 

①②と比べて足元の幅が2倍になっているので、転倒させるのに必要な力も2倍になります。

 

④の場合

物体に作用する重力:10kg×9.8m/s2(重力加速度)×4個=392N

支点と重心との距離:10cm

物体を押す点の高さ:120cm

⇒ 392×10cm/120cm=32.7Nで転倒する

 

重心が右に寄っているので、①②と足元の幅が同じにも関わらず半分の力で転倒してしまいます。逆に左側(反対側)に転倒させるには①②の1.5倍の力まで転倒しません(支点と重心との距離が30cm)。

 

上記計算から以下のことがわかります。

物体を手で押す場合、

・重たいものほど転倒させるのに大きな力が必要

・足元の幅が大きいほど転倒させるのに大きな力が必要

・重心の高さは転倒させるのに必要な力の大きさに影響しない

・重さに偏りがあると倒れやすい方向と倒れにくい方向ができる

 

地震の場合

手で押す場合と違い、地震の場合は重心位置に力が作用します。また先ほどの4種類の物体について考えてみましょう。

 

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①の場合

物体に作用する重力:10kg×9.8m/s2(重力加速度)×4個=392N

支点と重心との距離:20cm

物体を押す点の高さ:60cm

⇒ 392×20cm/60cm=130.7Nで転倒する

⇒ 130.7N/40kg=3.27m/s2=327galの加速度が生じると転倒の可能性がある

 

震度5強だと100gal程度、震度6強だと300~400gal程度の加速度が地表に生じると言われています。上層階では揺れが増幅されることにも注意が必要です。

地震の加速度を表すgal(ガル)とは

 

「転倒モーメント」と「転倒に抵抗する力」の両方に物体の重さが影響してくるため(40kgを掛けたあと40kgで割っている)、結果として物体の重さは「転倒する・しない」に関係無いことになります。

 

②の場合

物体に作用する重力:10kg×9.8m/s2(重力加速度)×4個=392N

支点と重心との距離:20cm

物体を押す点の高さ:70cm

⇒ 392×20cm/70cm=112Nで転倒する

⇒ 112N/40kg=2.8m/s2=280galの加速度が生じると転倒の可能性がある

 

手で押した場合は①と同じ力で転倒しましたが、地震の場合は重心が高い②の方が小さな加速度で転倒する可能性があることがわかります。

 

③の場合

物体に作用する重力:10kg×9.8m/s2(重力加速度)×4個=392N

支点と重心との距離:40cm

物体を押す点の高さ:50cm

⇒ 392×40cm/50cm=313.6Nで転倒する

⇒ 313.6N/40kg=7.84m/s2=784galの加速度が生じると転倒の可能性がある

 

見た目通り安定しており、非常に転倒しにくい形状と言えます。

 

④の場合

物体に作用する重力:10kg×9.8m/s2(重力加速度)×4個=392N

支点と重心との距離:10cm

物体を押す点の高さ:70cm

⇒ 392×10cm/70cm=56Nで転倒する

⇒ 56N/40kg=1.4m/s2=140galの加速度が生じると転倒の可能性がある

 

重心が高く重心も右に寄っているので、かなり不安定な形状です。手で押す場合と同様、左側(反対側)には転倒しにくくなっています。

 

上記計算から以下のことがわかります。

地震の場合、

・物体の重さは転倒する・しないに関係しない

・足元の幅が大きいほど転倒させるのに大きな加速度が必要

・重心位置が高いほど転倒しやすい

・重さに偏りがあると倒れやすい方向と倒れにくい方向ができる

 

斜め方向加力

先ほどの計算では手で押す場合も地震の場合も、力は水平方向(真横)に加えました。しかし、最も転倒が起こりやすい方向は水平方向ではありません。

 

前述したように、転倒とはモノを持ち上げるようなものです。持ち上げる、つまり上方向の力をいくらか加えた方がより簡単に転倒させることができるのです。

 

モーメントは力×距離でしたから、できるだけ距離が稼げるようにします。幅が広いものほど上方向の力を多めにしたほうが楽になります。

 

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図による転倒の判定

支点の位置、重心の位置、物体の重さ、力を加える位置、力または加速度の大きさ、この5つがわかれば転倒するかしないかが計算で判定することができました。

 

しかし、いちいち計算しなくても図を描くだけで求めることも可能です。手順を以下に示します。

 

1.重力および押す力が作用する線の交点Aを見つけます。

2.この交点Aに重力の大きさに応じた長さの矢印Bを描きます。

3.この交点Aから支点Cに向かって線A-Cを引きます。

4.矢印Bの先端から押す力の作用線に平行な線B-Dを引きます。

5.線A-Cと線B-Dの交点Eを見つけます。

6.交点Eから矢印Bに平行な線を引き、押す力の作用線との交点Fを見つけます。

7.交点Aと交点Fをつないだ矢印の長さが転倒させるのに必要な力になります。

 

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重力と地震の力(または押す力)との合力の作用線が支点に重なるよう作図をしていることになります。これよりも少しでも力が大きければ支点からズレる、つまり回転が生じ始めるということです。

 

なんだか上記手順を見ると面倒くさいようにも思えますが、慣れれば簡単です。

 

転倒モーメントに対する検討とOTM低減

検討が必要な建物

通常の設計では「転倒」よりも「倒壊」の方が問題となることが多いため、転倒のことを意識することはあまりありません。しかし、転倒に注意しなくてはならない建物もあります。

 

まず、「塔状比」が4を超える建物では転倒に対する検討が必要です。塔状比とは建物の幅に対する高さの割合で、これが大きいということは高さの割に幅が狭い建物ということになります。

塔状比の限界はいくらか?

 

建物の重量の30%に相当する横からの力に対して転倒しないか確認しなくてはなりません。

 

先ほどの計算でも見たように、幅が狭いほど転倒しやすい建物と言えます。場合によっては基礎を重くするなどの対策が必要となります。

 

また「免震建物」でも転倒が問題になることがあります。免震建物は地震の揺れが伝わりにくくなるよう建物が特殊なゴムの上に載っているのですが、このゴムが引っ張る力に対してあまり強くないのです。

免震構造とは免震ゴムとは

 

上下方向の揺れ(縦揺れ)による影響を考慮した上で、ゴムに生じる引張の力を1mm2あたり1N以下にしなくてはなりません。

免震構造と縦揺れの関係

 

OTM低減

転倒モーメントを英語で「Overturning Moment」と言います。構造設計者の間では略して「OTM」と呼ばれることが多いです。

 

通常は「建物を横から押す力」と「力が作用する高さ」からOTMを計算するわけですが、地震の力というのは実際には不規則に変化するものです。5階が右に揺れているときに3階が左に揺れるということもあります。

 

簡易な計算方法ではそうした地震の力の変化は捉えられませんが、「時刻歴応答解析」という超高層建物や免震建物の設計時に用いる手法ならそれがわかります。

時刻歴応答解析がわかる

 

右向きの力と左向きの力が打ち消し合うことで、「全ての階が同じ方向に揺れる」と考えた場合に比べ80%程度までOTMが小さくなります。

 

これを「OTM低減」といい、時刻歴応答解析を行うような建物では積極的に取り入れられています。

 

違和感の正体

ここまでモノの転倒に関して詳細に説明してきました。

 

すんなりと「よし、よくわかった」と納得いただけたでしょうか。「なんだか変じゃないか」と感じる部分があったのではないでしょうか。

 

転倒の可能性

前述の計算例で「手で押す場合」は「転倒する」と言い切りましたが、「地震の場合」は「転倒の可能性がある」という表現にしています。

 

手で押し続ける場合には「浮き上がり=転倒」ですが、地震の場合は「浮き上がり≠転倒」だからです。

 

あくまでも計算しているのは「浮き上がるかどうか」です。手でゆっくり押す分には浮き上がればそのまま倒れてしまいますが、地震のような瞬間的な力であれば浮き上がってもまた元に戻る可能性があるからです。

 

そのため、どれだけ大きな加速度が生じても転倒するとは限らないのです。

 

転倒に必要なエネルギー

地震に対して重心が高いものほど転倒しやすいことを計算により確認しました。しかし、手で押す場合には重心が高くても転倒させるのに必要な力の大きさは変わりませんでした。

 

これは本当でしょうか。「手で押した場合でも重心が高いモノの方が倒れやすい」という感覚があるのではないでしょうか。

 

実は、計算も感覚も両方とも間違っていません。転倒しはじめる力の大きさは重心の高さに関係ないのですが、転倒に至るまでに必要なエネルギーは重心が高いほど小さくなるのです。

 

「転倒モーメント」に関してはこの記事で説明できましたが、「モノの転倒」については以下の記事で詳しく説明しています。

家具の転倒防止について