1995年の阪神淡路大震災以降、数多くの免震建物が建てられてきました。近年では高層マンションや一定規模以上の病院ではかなりの確率で免震構造が採用されています。
免震構造を「ゴムの上に載っていて地震の揺れが伝わらない建物」という風に認識している方も多いでしょう。事実、日本の免震建物の多くは「積層ゴム」という免震用の特殊なゴムを用いて建物を支えています。
しかし、免震構造には積層ゴムが絶対に必要というわけではありません。ゴムを用いない免震構造もあります。それが金属製の免震装置である「球面すべり支承」です。
「支承(ししょう)」とは建物の重さを支える装置全般のことです。ここでは球面すべり支承の原理や特徴、適用が増えてきている理由を見ていきましょう。
球面すべり支承の基本
免震建物とは、建物と地面との間に柔らかい層を挟み込むことで地震の揺れを伝えにくくしている建物のことです。柔らかい層をゴムのような柔らかい材料でつくるというのはわかりやすいですが、金属のような硬い材料で「柔らかい」を実現するにはどうすればいいのでしょうか。
小さな力で動く
柔らかいということは、小さな力で変形するということです。柔らかい層の上に載った建物は小さな力で動くようになります。
そして、小さな力で動いてしまうということは、地面が動いても小さな力しか働かないということでもあります。これが「免震」の効果です。
金属製の装置を介して建物が地面と繋がっていれば、どうしても硬くなってしまい小さな力では変形できません。しかし、変形しなくても動くことは可能です。
球面すべり支承は、「建物を支える部分」と「それを支えるツルツルな金属の板」で構成されています。建物を支える部分が硬くて変形しなくても、金属の板の上をツルっと滑れば小さな力でも動くことが可能です。
これが球面すべり支承の「すべり」の部分の効果です。
元の位置に戻る
小さな力で動くことで地震の力を伝わりにくくできますが、それだけでは免震建物として成立しません。動いた後は元の位置に戻ってくる必要があります。
広い敷地に建っているのであればツルツルとどこまで滑って行っても問題無いかもしれませんが、実際には隣の建物にぶつかってしまいます。また、電気の引き込み線や水道管が千切れてしまいます。
ゴムでできた装置であれば変形させた分だけ戻ろうとする力が働きます。しかし、ただ金属板の上を滑っただけでは元には戻りません。
では、どうすれば滑った量に応じて戻ろうとする力を発揮させることができるでしょうか。
ここで出てくるのが球面すべり支承の「球面」の部分です。
真っ直ぐな地面の上でボールを蹴とばせば、コロコロとしばらく転がった後に止まるだけです。しかし坂道の下から上に向かって蹴とばせば、しばらく坂道を登っていくものの徐々に勢いは弱まり、停止した後は坂道を下ってきます。
つまり、斜面があれば滑って動いた建物を元の位置に戻そうとする力が働くのです。
ただし、ただの斜面ではダメです。斜面を滑り降りようとする力は斜面の傾きによって決まってしまうので、滑った量に関わらず一定の力しか働きません。より強い力で戻そうとさせるには斜面の傾きをきつくする必要があります。
滑った量に応じて戻る力をどんどん大きくしていくには、少しずつ斜面の傾きを変えていかなくてはなりません。つまり「ツルツルな金属板を球面状」にする必要があるのです。
滑る面を球面状にすることで、ゴムが元に戻るのと同じような「バネの役割」を果たすことができます。
球面すべり支承の力学
「ツルツル」であることと「球面状」であることにより、硬い金属の装置であるにも関わらず柔らかいゴムと同じような効果が発揮できることがわかりました。ではどのくらい「ツルツル」にすればいいのか、どのくらいの半径の「球面」にすればいいのかを考えてみます。
ツルツルの度合い:摩擦力
建物に地震の力を伝えないようにするにはツルツルであればあるほどいいように思うかもしれませんが、そうではありません。適切なツルツル具合というものがあります。
ツルツル過ぎると強風で滑って揺れてしまう可能性がありますし、一度揺れてしまうといつまで経っても揺れが止まりません。地震の際の揺れ幅も大きくなり過ぎてしまいます。
そのため、ツルツルとは言っても数%程度の摩擦係数があります。建物重量の数%に相当する力がかかるまでは滑らないようになっているのです。
そもそも、完全に摩擦が無いものは作れないため、最低でも1%程度は摩擦があります。
建物によって最適な摩擦の値は変わりますが、概ね3~5%といったところでしょうか。
球面の半径:振り子の周期
一口に「球面」と言っても「半径」の違いによって性能は大きく変化します。
半径が小さい場合、少し移動しただけで球面の傾斜がきつくなります。反対に半径が大きい場合は多少移動してもほとんど傾斜は変化しません。
傾斜がきつければきついほど元の位置に戻ろうとする力は大きくなるので、半径が小さいほど素早く揺れるようになります。
お気づきかもしれませんが、これは「振り子」と全く同じ原理です。オモリを吊るしている紐の長さに応じてゆっくり揺れたり速く揺れたりします。
振り子の場合は紐により上から引っ張り上げるような力が働くのに対し、球面では下から持ち上げるような力が働きます。上からか下からかの違いはありますが、現象としては同じです。
このときオモリが振れる周期は紐の長さ(=球面の半径)の平方根に比例し、重力の平方根に反比例します(厳密には違いますが、振れ幅が小さい範囲では近似的に成立します)。
オモリの重さが関係ないところが重要です。重力は変わらないので、紐の長さ(=球面の半径)だけで周期を決められることになります。
周期というのは「建物をどれだけ柔らかく支えているか」の指標です。この値をどう設定するかで地震時の性能の大部分が決まります。
ゴムによって免震を実現する場合、狙い通りの周期にするためにはいろいろな工夫が必要になります。しかし、球面すべり支承であれば使用する装置の半径を決めるだけでいいのです。
球面すべり支承の使いどころ
さきほど「周期の設定が簡便」というメリットを挙げましたが、別に他の装置を使用しても狙った周期を実現できないわけではありません。ここでは「球面すべり支承ならでは」のメリットを挙げます。
軽量建物の設計
免震の常識として「柔らかい層がどれだけ変形するか」によって性能がほとんど決まります。大きく変形すればするほど性能は上がります。
これは上に載っているのが住宅であろうが超高層建物であろうが関係ありません。大地震時に30~40cm程度変形するような設定となっているものがほとんどです。余裕を見て50cm、あるいはそれ以上変形できる装置を使用する必要があります。
ゴムの場合、変形できる量は装置の大きさに比例します。一般的なものでは装置の直径の半分程度の変形が可能です。
ということは、最低でも直径60cm以上、できれば直径1m程度の装置を使用しなくてはならないということになります。
しかし、ゴムの層は柔らかくなくてはなりません。軽い建物に対して直径60cmは大き過ぎ、相対的に硬い層となってしまいます。これでは免震の効果を発揮できません。
その点、球面すべり支承では装置の大きさと硬さには関係がありません。球面の半径さえ同じであれば、装置を大きくしても建物の揺れ方は変わらないのです。
鉄骨造の工場といった軽量な建物を簡単に免震構造にすることができます。
物流倉庫の設計
建物というのは非常に重たいものです。
中にいる人や家具なども重たくはありますが、床や柱、内・外装材などが大部分を占めます。多少いつもより人が多く集まろうが、重厚な家具を増やそうが大勢には影響ありません。
そのため、建物全体の重さは安定しています。多少の変動は無視しても差し支えありません。
しかし、物流倉庫のような「中に置いてある荷物」が主役の建物ではそうはいきません。建物自体よりも荷物の方が重たいので無視できなくなるのです。
ゴムの場合は硬さが一定のため、荷物が少なくて軽いときには硬すぎ、荷物が満載で重いときには柔らかすぎになってしまいます。
また、右半分は荷物が空っぽでも左半分は荷物が満載という重さが偏った状態もあり得ます。
その点、球面すべり支承では重さに関わらず揺れ方は球面の半径だけで決まります。重いときには重いときなりの、軽いときには軽いときなりの摩擦による力と斜面による力が働きます。重さが偏ってもそれは同じです。
重さの変動が激しい物流倉庫などでも安定した性能を発揮できるのが球面滑り支承です。
球面すべり支承による免震の性能
球面すべり支承は従来のゴムでできた装置では免震にすることが難しい建物にも対応することができます。では、今後どんどんゴムから置き換わっていくかというとそうでもないでしょう。
柔らかさ
球面すべり支承は本当に「柔らかい」わけではありません。あくまでもツルツルな面を滑り出すことで「柔らかい」のと同等の効果を発揮します。
つまり、滑り出さなければやはり「硬い」のです。
硬ければ免震の効果はありません。滑りが生じない中小地震に対しては効果が出ない場合があります。
摩擦によるエネルギー吸収
球面滑り支承を使用した免震建物では、摩擦がある面の上を建物が滑ることでエネルギーを吸収します。しかし、エネルギー吸収の効率は「オイルダンパー」という装置の方が上です。
当然効率のいい装置を使った方が建物の揺れを抑えることができます。
エネルギー吸収効率が劣る「摩擦」を利用するので、ゴムとオイルダンパーとを組み合わせた免震よりも球面すべり支承を使用した免震は若干性能が劣ることになります。
理に適った面白い装置ではありますが、使い方はしっかりと考える必要があります。