2015年10月に横浜市、2020年5月に福岡市のマンションの傾斜問題が報じられました。
人生で一番大きな買い物がマンションだという人も多いことでしょう。それだけに問題が発生したときの影響は深刻です。
また、自分一人の所有物ではありませんので、意思の統一も大変です。補強するのか、建て替えるのか、それを決めるだけでも一苦労です。
なぜ傾斜が生じたのか、傾斜により耐震性はどうなるか、それに回答してみたいと思います。
なお、他の建設業関連の不祥事については以下の記事があります。
既製(既成)コンクリート杭の問題
建物の重さを支えるのが「基礎」の役割ですが、基礎にもいろいろな形式が存在します。構造設計者が建物や地盤の特性、敷地条件に応じて使い分けています。
報道を見る限り、問題が発生したマンションの基礎は「既製コンクリート杭」のようです。いろいろな形式の基礎がある中で、なぜ既製コンクリート杭だったのでしょうか。
直接基礎と杭基礎
基礎の形式は大きく2種類に分けることができます。「直接基礎」と「杭基礎」です。
建物を支えられるだけの頑丈な地盤が地表面近くにあれば、建物を直接その上に載せるだけで済みます。このような基礎の形式を「直接基礎」といいます。
建物を載せるためには、頑丈な地盤を露出させる必要があります。そのため、直接地盤の状況を目で見て確認することができます。
また、建物の全体で「面」として建物を支えることになるので、部分的に弱いところがあったとしても影響は小さくなります。
逆に、頑丈な地盤が地下深くにある場合、建物を直接その上に載せるのは大変になります。そこで柱の直下など負担が大きい部分にだけ、頑丈な地盤まで力を伝達するための杭を設けます。これが「杭基礎」です。
杭を設置するために部分的に深い穴を掘ることになるので、掘った穴の先がどうなっているか直接見ることはできません。
また、杭という「点」で建物を支えることになるので、一箇所当たりの重要性が高まります。一本でもうまく設置できていないと大きな影響が出ます。
場所打ち杭・鋼管杭・既製杭
杭基礎の方が直接基礎よりも不具合が出やすい理由を挙げました。
しかし、いろいろな種類がある杭の中で、なぜ既製コンクリート杭なのでしょうか。代表的な「場所打ちコンクリート杭」、「鋼管杭」、「既製コンクリート杭」の3つの杭を比較してみます。
まず、「掘った穴の底がどうなっているか」を確認する方法が違います。
場所打ちコンクリート杭では、ドリルの先から穴の底にあった土を採取できます。地盤調査の結果と照らし合わせることで、そこが頑丈な地盤であることがわかります。
鋼管杭や既製コンクリート杭では、穴を掘る際の抵抗の大きさから予測することになります。抵抗値が1枚のグラフとして出力されますが、傾斜したマンションではこのグラフが改竄されていたようです。
しかし、これは理由の1つでしかありません。鋼管杭でも同じ偽装ができてしまいますし、場所打ちコンクリート杭でもごまかそうと思えばいくらでもごまかせるはずです。
一番大きな理由として、「杭の長さ調節が難しい」ことが挙げられます。
構造設計者は地盤調査の結果を参考に杭の長さを決定します。しかし、地層が水平ではなく傾斜していることは往々にしてあります。
同じ敷地の中であっても、頑丈な地盤が地表面から同じ深さにあるとは限らないのです。設計時の想定より深ければ杭を長く、浅ければ杭を短くして対応しなくてはなりません。
場所打ちコンクリート杭はその名の通り、建設現場でコンクリートを打ち込んで造る杭です。中に入れる鉄筋の調整は必要ですが、掘った穴の深さに応じて杭の長さが自動で変わります。
鋼管杭は文字通り、鋼製の管でできています。鋼材のよいところは、現場で切ったり繋いだりが容易にできるところです。ガスで焼き切るにせよ、溶接で継ぎ足すにせよ、その場で好きな長さに合わせることができます。
しかし、既製コンクリート杭の場合は長さを変えるのが大変です。
ただのコンクリートであれば現場でも切れないことはありませんが、既製コンクリート杭はただのコンクリートではなく「プレストレストコンクリート」です。
細かい説明は別記事に譲りますが、要は杭の中に「ピンっと張った鋼棒が埋め込まれている」ということです。杭を途中で切ってしまうと「ピンっと張った」効果が損なわれる、つまり性能が低下してしまうため切断できません。
また、長くするために継ぎ足す場合も大変です。鋼管杭に比べ既製コンクリート杭は種類も多いので在庫を抱えづらいです。切断もできないため、長さについても複数種類揃えなくてはなりません。
コストや工期が厳しい中で、「図面通りの長さはあるからいいだろう」と考える人が出てきてしまう可能性は否定できません。
傾斜マンションの耐震性
建物の設計の前提
建物の設計を行う場合、基本的に地上(建物)と地下(基礎)を分けて考えます。地上部分は「地下部分がしっかりと地上部分の重さを支えてくれる」という前提で計算を行います。
地下がしっかりしていなかったときのことを考えて地上の部材を強くしておこう、ということはありません。地下部分が地上部分の重さを支えるというのは基本なのです。
しかし、地下に弱い部分があれば前提が崩れます。弱い部分が本来負担する予定であった力を他の強い部分まで伝達しなくてはなりません。
そのとき力の通り道となるのは地上部分です。想定外の力が作用するため、何かしら不具合が生じることになります。
多かれ少なかれ、耐震性が低下しているのは間違いありません。
安全性に問題無い??
傾斜に限らず、建物にはいろいろな瑕疵が存在する可能性があります。
ただ、瑕疵の発覚によって「危険です、直ちに退去してください」となることは稀です。大抵の場合は「安全性に問題はありません」という発表がなされます。
では、傾斜のような目に見える不具合が生じているのに、安全性に問題無いということがありえるのでしょうか。それに答えるには「安全」という言葉の意味から考える必要があります。
建物が地震に対して安全であるとは、地震によって建物が壊れないことではありません。いくら壊れても、倒れなければ安全なのです。
実際、大きな地震に対しては建物の各部に損傷が生じるのを前提で構造計算は行われます。壊れることで地震のエネルギーを吸収するのです。
大切なのは「壊れる=倒れる」ではないということです。建物が倒れるまでにできるだけ多くの部材が壊れるようにすることで安全性が高まるのです。
建物を支える杭や基礎梁は重要な部材ではありますが、地震に抵抗する部材はたくさんあります。一部の部材があらかじめ損傷しているからと言って、安全性が大幅に損なわれるとは限らないのです。
傾斜と耐震性・安全性
杭の施工不良があると「多かれ少なかれ耐震性が低下する」けれど「安全性が大幅に損なわれるとは限らない」、これで納得いただけたでしょうか。それともいまいちな回答だったでしょうか。
計算により、杭の有無による耐震性の低下の度合いを数値で表すことは可能です。「安全性に問題無い」と発表する際は計算による数値を根拠にしていると思います。計算の精度が十分かどうかの議論は必要ですが。
しかし、そもそも杭がちゃんと施工されていない、傾斜で建物としての機能が損なわれている、という状況では安全性がどうこうという話ではないのかもしれません。
ただ、慌てて引越しをしなくてはならないほど危険性が高まっているのではない、ということは知っておいても損は無いと思います。もちろん危険だという場合もありますので、そこは施工元なり設計者なりの発表をしっかり聞くようにしてください。
傾斜するマンションを見分けられるか
前述の様に、直接基礎よりも杭基礎、場所打ちコンクリート杭よりも既製コンクリート杭で傾斜が起こる可能性は高くなると思われます。
傾斜マンションの問題が報道された当初は、構造設計者がマンション購入者への説明会に駆り出されるということがありました。そこでは「場所打ちコンクリート杭だから大丈夫です」といった説明がされることもあったようです。
しかし、実際に傾斜が起こるようなマンションは全体から見れば極々少数です。当たり前ですが、既製コンクリート杭でも何の問題もないのが普通です。
「既製コンクリート杭のマンションは買わない」というのは「墜落するのが怖いから飛行機には乗らない」というのと同じです。
また、マンション購入前に杭の施工記録を一つずつ精査するというのはとても現実的なやり方とは思えません。やってやれないことはないでしょうが。
アドバイスにもなっていませんが、杭の種類がどうだこうだではなく、自身が気に入ったマンションを買う、というのが一番ではないかと思います。