何ごともコストパフォーマンスというのは大事です。
1週間頑張って勉強して試験で100点を取るのも素晴らしいですが、もし前日に1時間勉強すれば90点を取れるとわかっていれば前日から勉強を始める人も多いかと思います。単位を取るためには98点以上が必要というのでなければ、他の科目に勉強時間を割いたほうがいいでしょう。
力学の世界においても同じようなことは多数あります。簡単な式でもかなりの精度で解析できるのに、ほんのわずかに精度を上げるためだけに複雑怪奇な計算が必要になる場合があります。
学問としてはそれでいいのですが、やはり実際には簡略化されていた方が断然役に立ちます。無視しても影響がないものはどんどん無視する、これが工学の立ち位置です。
ここではモノの変形を考えるときに広く使用される簡略化の手段である「微小変形理論」についてみてみましょう。
微小変形理論とは
微小変形理論とは、なにかモノの変形を計算する際、「微小」な「変形」しかしない場合に用いられる理論です。
「微小」というのは当然ゼロよりは大きい値です。絶対にゼロではない。でも全体からみると、やはり非常に小さい値です。
そこで、「もうこれだけ小さいのならゼロってことにしちゃおう」と考えるのが微小変形理論なのです。非常に大雑把な言い方をしてしまうと、「変形しているけど変形していないものとして計算します」という宣言です。
大変形理論
「微小」変形理論があるのだから、その反対の「大」変形理論もあるのだろうか、というともちろんあります。微小変形理論と違い、「ちゃんと変形しているなら変形していることを考慮して計算します」というある意味で当たり前の宣言です。
では、この大変形理論を用いるとどのように面倒くさいことになるのでしょうか。それがわかれば微小変形理論のありがたさもわかります。
長さ
どんな材料であれ、伸ばせば長くなりますし、つぶせば短くなります。長いものほど変形しやすく、短いものほど変形しにくいので、長さというのは変形を計算する場合に重要な指標になります。
ある力で棒を伸ばすと少し伸びます。少し長くなるのでより変形しやすくなり、加える力を変えていなくてももう少し伸びます。そうするとさらにもう少し長くなるのでより変形しやすくなり・・・と永遠に続きます。
もちろん永遠に伸びるわけではなく、伸び量はどんどん小さくなっていくのでいつか有限の値に収束します。とはいえ、そんなことを考えるのは非常に面倒くさい。
しかし、例えば鉄鋼などは長さの0.2%程度伸び縮みすると力学的性質が変わってしまいます。そのため、普段はせいぜいその半分程度しか力を負担させません。
そんな小さな変形をいちいち考慮するよりは「長さの変化は無視しよう」とした方がよほどいいことがあります。
太さ
粘土でできた棒をグッと押しつぶすと、長さが短くなるとともに若干太くなります。棒をギュッと引っ張ると、今度は長さが長くなるとともに若干細くなります。
当然太いものほど変形しにくいですし、細いものほど変形しやすいです。
先ほど同様、ある力で棒を伸ばすと少し伸びます。少し伸びると細くなるのでより変形しやすくなり、加える力を変えていなくてももう少し伸びます。そうするとさらにもう少し細くなるのでより変形しやすくなり・・・とまたしても永遠に続きます。
この太くなったり細くなったりする度合いをポアソン比と言います。鉄では0.3程度の値になるのですが、太さに比べて長い棒であればその変化は微々たるものです。
であれば、やはり「太さの変化は無視しよう」とした方がよほどいいことがあります。
形状
もう一つだけ例を挙げます。材の長さや太さだけでなく、構造物全体の形状というのも変形に関係してきます。
二本の棒を「人」という字のように組み合わせて上から押すことを考えます。このとき、棒と棒が作る角度が180°に近い平べったい形状の場合、簡単につぶれてしまいます。逆に60°や45°といった鋭角であればかなり大きな力にも耐えられます。
で、やはり先ほど同様、ある力で「人」をつぶそうとすると少し棒の角度が大きくなります。少し角度が大きくなると変形しやすくなり、加える力を変えていなくてももう少し角度が大きくなります。そうするとさらにもう少し角度が大きくなるのでより変形しやすくなり・・・同じですね。
もちろん角度が大きく変化するのであれば考慮せざるを得ませんが、そうでなければ無視したいところです。
微小とは
変形による影響を考えると非常に面倒くさいことはわかっていただけたかと思います。しかし、なにをもって「微小」と呼ぶことができるか、これは大きな問題です。
曲げと伸び
例えば、台と台との間に薄い板を載せた状態を考えます。薄い板はほぼ水平になっています。
この薄い板の真ん中を上から指で押すと、当然曲がって指は下に下がります。どのくらい下がるかは、板の曲がり具合を計算する式から求められます。
しかし、実際に計算した値と実験してみた結果には大きな差が出るはずです。実際には板は曲がって水平ではなくなり、下に下がった指を引っ張りあげるような状態に移行してしまうからです。つまり板の伸び具合を計算する式から計算しなければならなくなります。
この「曲げ」と「伸び」の頑張り具合の比率から「微小なのか微小でないのか」を判断しなくてはなりません。
モノの倒れ
もう少し具体的に数値で見ていきましょう。そのために、肘をテーブルの上に載せて、腕をまっすぐ立ててください。
肘を少しずつ伸ばしていくと、拳の位置はまず横方向に動きます。さらに肘を伸ばすと今度は拳が横だけでなく下方向にも動き出します。最後、拳がテーブルに付くころにはほとんど下方向にしか動きません。
微小変形理論では、このときの拳の動きは肘を動かし始めた直後(腕の回転が微小)である「横方向にだけ動き、下方向には動かない」状態とみなします。
このとき、腕を1°だけ傾けたときの実際の横方向の動きを1とすると、微小変形理論では約1.00005とほとんど同じ値になります。また、実際の下方向の動きは約0.00015と非常に小さく、無視できる値となります。
建築の世界では建物の高さの1/100くらいの変形を考えますが、これは角度で言うと約0.57°です。つまり、微小変形理論を適用しても十分な精度を得られることがわかります。