バッコ博士の構造塾

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談合はなぜなくならない?建設業・ゼネコンとは切っても切れないその理由

一昔前の建設業を取り扱う小説では必ず題材にされる「談合」。建設業と言えば談合、というイメージすらありました。

 

現在は規制の強化により、その数は大幅に減りました。とはいえ、「どうせまだやってるんでしょ」という印象はぬぐい切れていません。

 

実際、リニアの工事に関連して、スーパーゼネコンからも逮捕者が出ています。コンプライアンスがうるさく言われる昨今でもなくなっていないのが実情です。

 

ではなぜ談合はなくならないのでしょうか。

 

 

談合とは

あなたがもし何か欲しいと思ったとき、いくつかのサイトを見て、値段を比較してから購入するでしょう。企業であれば、何社からか見積もりを取ってから購入先を決めます。

 

ではビルを建てる場合はどうでしょうか。ビルであっても基本的には物を買う場合と同じです。ただし、大量生産品ではないので仕様を指定する必要があります。

 

「こんなビルを建てたいけれど、いくらでやってくれますか」、「うちならこの金額でやりますよ」というやりとりが生まれます。

 

実際には「札」に値段を書いたものを提出箱に「入れて」いたので「入札」と呼ばれます。そしてこの入札に参加する業者のことを「入札業者」といいます。一番安い札を入れた業者が落札することになります。

 

入札業者同士は競争相手なので、自分がいくらで入札するか秘密にすべきです。「他社よりも安いけれど、その中でできるだけ高い金額」を予測しあうのが本来の姿です。

 

しかし、この入札業者同士が客に内緒で相談をするのが「談合」です。

 

「この工事なら3000万円あるといい感じの利益が出ますね。」

「この前はお宅が受注したんで、次はうちでお願いしますよ。」

「じゃあうちは3200万円で入札しますんで、そちらは3000万円でどうぞ」

というように、客ではなく、業者側が主導で物事が進みます。

 

競争原理が働かなくなり、客は不当に高い金額で発注することになってしまいます。これが公共工事であれば税金が無駄に投入されるわけで、問題になるのは当然です。

 

なぜなくならないか

理由はいろいろあるが

なぜ談合がなくならないのか、それには建設業特有の事情があります。誰も好き好んで不法行為をしたいとは思っていないでしょう。

 

少しネットで調べると、いろいろな人がいろいろな理由を挙げています。真面目に競争すると利益が出なくなる、官民の癒着、その他諸々、おそらくどれも正解でしょう。

 

建設業は年間何十兆円にもなる巨大な産業です。複雑で一筋縄ではいかないのも当然でしょう。いろいろな理由があって当然です。

 

しかし、「なぜ建設業では」と言った視点に欠けるものが多い気がします。建設業と他の産業で何が違うのでしょうか。そこに注目してみましょう。

 

見積もるだけで大仕事

お客さんから「ビルを建てたい」と設計事務所に依頼し、図面を描いてもらいます。その図面を持って建設会社に「いくらで建てられる?」と聞くわけです。

 

価格が数万円、数十万円ならすぐに見積もれるでしょう。多少見積金額を間違えても大やけどすることはありません。しかし、ビルであれば数億円、数十億円、場合によってはそれ以上です。

 

見積もりのために積算チームが大量の図面を見ながら数量と単価を拾っていくことになります。図面には書かれていない作業所の賃料や、工事を行うための足場の設置費なども見なくてはなりません。

 

施工チームはより合理的な工法や手順がないか検討する必要があります。将来的な人や作業機器の需給状況も踏まえなくてはなりません。

 

甘い見積もりをしてしまうと、いざ受注したときに大変なことになります。受注できるか否かに関わらず、しっかりとした検討が必要です。

 

入札する他の業者も同じく見積もりを行うわけです。たくさんの人が時間を割き、かなりの費用をかけています。

 

そして、受注できるのは一社のみです。当然受注できなければ見積もりに要した費用は全部パーです。無駄な見積もりをしないで済むだけでも、ゼネコンにとって談合はうまみがあるのです。

 

特にリニアのような巨大工事では見積もりだけでも莫大な費用になります。全工区を受注しにいくのではなく、得意な部分だけを選んで勝負するのが自然な流れです。

 

では、各社が選んだ工区に偏りがあり、誰も入札しない工区が出てしまうとどうなるでしょうか。工事を進めることができないため発注者は困ってしまいますし、発注の担当者は青ざめるでしょう。

 

誰がどこの工事を請け負うかを調整することは、発注者の利益にもなる場合があるわけです。不法行為であろうと、「発注者のためでもある」という大義名分があれば談合もやりやすくなるというものです。

 

単価が大きく量が少ない

バナナを売ります、定食屋をやります、洋服を作りますということであれば、かなりの量をこなさないと商売が成立しません。その代わり、多くの人がそれを欲してもいます。

 

もし5万個の需要があり、5社が供給するのであれば平均1万個になります。実際にはトップが2万個で、最下位は5千個というようにばらつくわけですが、さすがに1個も売れないというところは出ないでしょう。

 

しかし、需要が5個しかなく、5社が供給するのであれば、トップが2個で最下位が0個というのは往々に起こり得ます。そして単価の高い建設業では、このような状況になりやすいのです。

 

去年の倍の売り上げが出るかもしれないが、もしかしたらゼロになるかもしれない、そんな危ない商売はなかなかできないでしょう。いつでも業界の平均程度の受注が約束されていれば、大きく儲けることはできないかもしれませんが、安心感はあります。

 

ぬるま湯に浸かっていると言われればそれまでですが、そこから抜け出すのは簡単ではありません。

 

談合問題は難しい

何事も、大きく制度を変えるときには痛みが伴います。規制強化の際には多くの建設業者が倒産に追い込まれました。

 

仕事が受注できなければ、社員に給料を払えません。赤字覚悟の値下げ合戦が繰り広げられたからです。

 

確かに入札価格は低下したようですが、それで世の中がうまく回るようになったかは定かではありません。談合が「必要悪」と呼ばれる所以です。

 

不法行為を肯定する気はさらさらありませんが、難しい問題であるのは確かです。

 

談合を根絶するためのいいアイディアを持ち合わせていません。「談合が発覚した際のペナルティをさらに厳しくする」くらいでしょうか。その代わり、建設業界の淘汰はさらに進むため、しばらく混乱が続くでしょう。