バッコ博士の構造塾

建物の安全性について本当のプロが綴る構造に特化したブログ

人工知能は構造設計者になれるか?AIができること・できないこと

スーパーゼネコンの一角である竹中工務店が人工知能を活用し、「構造設計の中のルーチン的な作業の70%の削減」を目標に掲げました。

 

□■□疑問■□■

近い将来、世の中のいろいろな職業が人工知能に取って代わられると予想されています。構造設計の仕事もなくなってしまうのでしょうか。

 

□■□回答■□■

どのような仕事でもルーチン的な作業や、誰がやっても変わらないような作業はあります。構造設計の中にも当然そういった作業はあり、それらは今後人工知能が分担するようになっていくでしょう。しかし、それはあくまでも構造設計者のサポートとしての役割であり、本来の設計業務を担うにはまだまだ力不足です。人工知能が創造性を持つまでは、まだしばらくは安泰でしょう。

ただ、言われた通り計算するだけ、以前と同じことをやるだけ、と言った「構造設計者」ならぬ「構造計算者」はすぐにでも席を追われる可能性があります。仕事を奪われるとしたら、能力の無い人間から順に標的となるでしょう。構造設計という特殊な業種だからとあぐらをかいて、専門性を高める努力を怠ることは許されない時代になりそうです。

 

 

設計業務は無くならない:AIの第一人者が断言

仕事中に「こんな仕事、誰でもできるよな」と考えたことがある人もいると思います。今は「こんな仕事、AIでもできるよな」に変わってきているのかもしれません。各種メディアで「AIに仕事を取られる」と喧伝されては不安も募るというものです。我が子にはAIに代替されない仕事に着いてほしいでしょうし、高校生であれば将来が明るそうな分野に進学したくなるでしょう。

 

では建築の設計、その中でも構造設計はどうなのでしょうか。日本のAIの第一人者である大学の先生が講演に来てくださった時にこう断言されました。

 

設計業務がなくなることはない」と。人間相手の複雑な調整が必要な業務には向かないのだそうです。

 

構造設計者の端くれとしては、少なからず不安に思っていたので非常に安心しました。ただ、AIの専門家でもない構造設計者の方からは「いや、こんな仕事はAIでもできる」、「先生が構造設計の実態を知れば考えが変わる」という反対の意見が出ていました。

 

危機意識が高くて素晴らしいのか、自虐的なのかはわかりませんが、とても面白い光景でした。普通は先生が「こんな仕事は無くなる」と言い、無くなると言われた側が「いや、無くならない」と反論するのではないでしょうか。

 

個人的にはAIはサポートツールでしかなく、代替できるものは限られていると考えています。本当のところは時間が過ぎないことにはわかりませんが、少なくともAIの専門家は構造設計者が不要になるとは思っていないようです。

 

構造設計は深層学習に向かない?

データが豊富にある分野では人工知能の学習がスムーズに進むでしょう。では構造設計ではどうでしょうか。

 

法律は変わります

過去に設計された建物の図面を引っ張り出してきて、柱と柱の間隔はこれくらい、梁の大きさはこれくらい、材料の強度はこれくらいと覚えていきます。それらの建物は、その時点では適切に設計されていたとします。では法律が変わるとどうなるのでしょうか。

 

最近でも南海トラフ地震を想定して、建物を設計する際に使用する地震動が追加されました。従来と同じ設計ではとても耐えられないでしょう。

南海トラフ地震で大都市圏が揺れる:長周期地震動の恐怖

 

今まで正しかった構造設計のデータが、まったく正しくないものに一瞬で変わり果ててしまいます。「では新しいデータが蓄積するまでお休みです」とはいきません。

 

まだまだ耐震工学はわからないことだらけです。新しい発見があれば法律も変わります。環境の変化に対応できるかが問われます。

 

この建物は正解ですか?

建築は施主の意向、敷地条件、予算、建築士の個性、時代背景、その他いろいろな条件により解が変わります。一般解は存在せず、常に特殊解を採用することになります。「これが正しい」というものが無いので、学習が大変ではないかと素人的には考えてしまいます。

 

意匠に比べ構造では力学的な「合理性」により正解が判断しやすくなるかもしれません。しかしそれは構造設計の一部でしかありません。デザインを成立させるためには、あえて不合理な計画にすることもあります。

 

柱と梁だけで構成するか、あるいは壁を組み合わせるか、意匠設計者や施主との対話無しに決定できることではありません。「こちらの方が合理的だから」というだけでは正解と言えないのです。

 

最先端は人間だけのもの:新しい材料・構造・構法

新しい材料の開発は常に進められています。従来に無い強度、従来に無い変形能力、こういった材料は建築の構造計画を大きく変える可能性があります。また、以前からある材料でも大量生産が可能になったり、技術革新により安価になったりして、建築の分野に新しく導入される場合もあります。

 

材料が変われば構造が変わり、それに応じて構法も変わります。逆に構法が変わることで構造を変えることもあります。誰も経験したことが無い最先端の領域であれば、人工知能の追随は届きません。

 

過去にやったこと、誰でもできることを代わりにやってくれるのが人工知能です。新しい挑戦をし続ける限りは、人間の力が不可欠です。

 

「みんながみんな最先端技術に触れられるわけではない」というのはごもっともな指摘です。ただ、これは何もものすごい技術のことだけを言っているのではありません。

 

柱を細くするための工夫、出の大きい庇を支える工夫、複雑な接合部を納めるための工夫、こられ一つ一つの小さな工夫は、その建物特有の新しい問題を解決する小さな最先端と言えます。工夫が求められる場では人工知能の出る幕はまだありません。

 

残念な構造設計者たち

構造設計の分野ではまだまだ人間ができることが多いと思います。ただ、日々漫然と仕事をしているだけでは取り残されてしまうかもしれません。

 

意匠設計者からもらう図面には、すでに柱や壁が描かれています。そこから意匠設計者の意図を汲み取り、新しい柱や壁の配置を提案していくことが大切です。安全性を高めながら、デザインも洗練させることができます。

 

ただ、そうしたことをせず、もらった図面の通りに解析ソフトに入力している構造設計者もいます。これはただの「構造計算屋さん」であり「解析ソフト入力屋さん」です。とても構造設計者とは言えません。意匠設計者に意見を言えず、下請け的位置づけになっている構造設計者も多いようです。

 

はっきり言って、そんな仕事は誰でもできます。あっという間に自動化されるでしょうし、速度も精度も人間が敵うわけがありません。残された一部の業務をやるだけとなり、大半はお払い箱になってしまいます。

 

能力が無くても何とか食っていけた時代から、能力が無いものは淘汰されていく時代に変わる、あるいは変わったのでしょう。

 

構造設計者の未来

ここまで長々と書いてきましたが、一構造設計者がいちいち言わなくてもわかっている人にはわかっていることです。竹中工務店のリリース文にも最初から書いてあります。

 

あくまでも70%削減するのは”ルーチン的な作業です。全てがルーチン的だとは一言も書いていません。目的は”クリエイティブな業務に集中できる設計環境の構築”であり、ワークライフバランスの向上です。

 

どうしても激務のイメージが強い分野ですが、それを是正していこうという非常に素晴らしい取り組みです。人工知能によってポジションが奪われていくというネガティブな発想ではなく、本来の業務に集中するための力強いサポートツールとして活用していきたいものです。