バッコ博士の構造塾

建物の安全性について本当のプロが綴る構造に特化したブログ

実大の建物を揺らす疑似動的実験:ハイブリッドシミュレーションとは

解析技術がいかに進もうと、実験無くしては本当の特性は知り得ません。

 

□■□疑問■□■

自動車は販売前に衝突試験を繰り返し、安全性の確認を行っています。建物ではどのように安全性の確認を行っているのでしょうか。

 

□■□回答■□■

構造計算により安全性を確認しています。個別の建物に対して特別な試験を行うようなことはありません。計算時に想定される地震の力は、過去の地震被害から経験的に決められています。柱や梁、壁の強さは実験により確認されており、その時得られた数値や式を用いて計算します。部材1つ1つの強さを積み上げていくことで建物全体の強さを計っています。

建物の強さを正確に評価するには実大試験を行う必要がありますが、費用、時間、実験装置のどれを取っても十分ではありません。そこで実大試験とシミュレーションとを組み合わせた高精度の実験手法「ハイブリッドシミュレーション」が開発されています。

 

 

構造計算の不確定性

「地震の力を想定し、その力に対して各部が壊れないか確認する」、これが構造計算の基本です。想定した地震の力と解析モデルの両方が完璧であれば安全性に疑いの余地は無いのでしょうが、そう簡単に評価できるものではありません。計算するにあたり、多くの仮定を行っています。

 

建物を構成する建築材料は見てみましょう。自然材料である木材は特性のばらつきが大きい材料と言えます。いかに規格品であろうと、壊してみるまで正確な値は分かりません。コンクリートも半製品のためばらつきが大きく、現場での施工によりその性能は大きく左右されます。厳密に管理された鋼材と言えど例外ではありません。規定値内でばらついているわけです。

 

地震の力は予測不可能です。設計用の地震の力は過去の事例から「このくらいにしておけば問題は少なさそう」ということで決まっています。仮に近所に地震観測のセンサーが設置してあったとしても、一件隣では揺れが違ってきます。地面の揺れと、実際に建物に入ってくる揺れも違います。

 

分からないことだらけの中で、なんとか評価しようともがいているのが耐震工学の実状です。構造計算により算出される安全性はぼんやりとした精度でしかありません。

 

構造実験の限界

実験は解析と違い、仮想の世界ではない目の前にある現実として結果を提示してくれます。過去の膨大な実験結果の蓄積から構造計算のための式や数値が決まっています。

 

ただし、実験には大きな欠点があります。お金がかかること、時間がかかること、実験設備に限界があることの3つです。

 

お金や時間がかかるのはどの分野でも同じことですただ、大量生産を行う自動車やその他の工業製品と違い、建築は一品生産です。実験結果をそのまま広く水平展開することができません。

 

建築の分野では縮小試験体が用いられることが多いです。お金や時間の制約もありますが、実大の建物を揺らす、壊すといったことが実験設備の都合上できないのです。

 

日本には世界最大規模の振動台(地震の揺れを再現できる実験装置)であるE-ディフェンスがあり、戸建住宅程度であれば実大実験が可能です。圧縮力だけであれば数千トンの力を加えられる装置は各種メーカーが保有しています。しかし、建物はどんどん大規模化、高層化しています。

 

さしものE-ディフェンスであっても中層のビルが限界です。タワーマンションの柱は1万トンでも壊れません。建物規模が大きくなると、たった1つの部材ですら実大で性能を確認することができないのです。

 

各部材の縮小試験体という小さな事実を積み上げ、実大の超高層ビルの性能を評価できるか、これはなかなか難しいと言わざるを得ません。ある程度の精度は出ますが、「ある程度」を超えることはできません。

 

そこで登場するのが疑似動的実験あるいはハイブリッドシミュレーションと呼ばれる方法です。

 

疑似動的実験(ハイブリッドシミュレーション)とは

どんな実験?あるいは解析(シミュレーション)?

「ハイブリッド」の名の通り、解析と実験を組み合わせた検証方法です。建物の一部を解析モデル、残りの部分を試験体として、解析と実験を同時に行います。建物全てを実際にやるわけではないところが「疑似」的です。

 

建物の解析において、部材が損傷しない範囲であれば高い精度での解析が可能です。しかし、損傷が生じると部分的に軟化したり特性が変わったりと、解析では追跡が困難になってきます。そこで建物を「損傷する」部分と「損傷しない」部分に分けてしまいます。これはあらかじめの解析で見当が付きます。

 

損傷しない部分は十分な精度が出るので解析モデルとし、損傷する部分だけ試験体を製作します。制振ダンパーのように他の部材に先駆けて性能が変化する材や、壊れる部分を限定したような特殊な建物を対象とすれば、ほとんどが解析モデルで、試験体は極一部で済みます。

 

そして、解析により建物の次の変形状態を予測し、その予測に従って試験体に力を加えていきます。試験体に加えた力と変形の状態を解析にフィードバックしてやることで、建物のその次の状態が精度よく予測できます。そしてその予測に従ってまた試験体に力を加え、それがまた解析に反映され、と繰り返していくことで実験と解析がリンクするのです。

 

実験と解析のいいとこ取り

実験のいいところは仮定や理論が必要なく、試験体の本当の性質がわかることです。解析では永遠にわからない部分が一瞬で手に入ります。

 

解析のいいところは安く早く何回でも検証ができることです。少しパラメータを変えたり、特殊な条件を使用したりと、好きなことができます。

 

疑似動的実験では両者をうまく組み合わせることで、単なる解析よりも精度が高く、建物全体の実験よりも安く手軽に結果を得ることができます。かかるコストは部材単体の試験とほぼ同じ、結果の精度は建物全体を用いた実大試験並み、という具合です。余分に必要なものは「頭の良さ」だけです。

 

コンピュータの進歩

ハイブリッドシミュレーションの理論自体は古く、1970年代からはアイディアとしてはあったようです。近年注目を浴びるようになってきたのは、コンピュータの計算速度が向上し、実施に移せるようになってきたからです。

 

建物の地震時の解析は0.01秒、あるいはもっと短い間隔毎に行う必要があります。地震や建物がガタガタと揺れる時間に合わせると、そのくらいの間隔で計算しないと精度が保てません。実験装置と解析ソフトの間でデータのやり取りを行い次の状態を予測する、この一連の作業を短時間で終わらせることが以前はできなかったようです。

 

グローバルな技術

速度や加速度が重要でない試験体の場合、解析はある地震動を想定した「動的」なものとし、試験体にはゆっくりとした「静的」な力を加えるということもできます。この場合、慌てて加力する必要がないので、実験と解析を行う場所が離れていても問題ありません。

 

極端な話、日本で解析を行い、実験は海外でやってもいいわけです。また、他の施設と連携し、柱は日本、梁はアメリカ、壁はニュージーランドで試験をし、解析はヨーロッパでやるとうこともできます。世界中の実験施設を活用することができるということです。

 

バラバラになったパーツを仮想空間で組み上げることで、実大の超高層ビルの本当の性能がわかるようになるかもしれません。技術者としては少し夢のある話です。