バッコ博士の構造塾

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慣性質量ダンパーができること:モード制御と変位増幅

今まで構造設計者は、建物の硬さをコントロールすることはできましたが、建物の重さをコントロールすることはできませんでした。

 

□■□疑問■□■

慣性質量ダンパーとはなんでしょうか。通常の制振ダンパーとは何が違うのでしょうか。

 

□■□回答■□■

慣性質量ダンパーは今までにない、まったく新しいタイプのダンパーです。構造設計者は柱や梁の変更、あるいはブレースやダンパーを追加することにより建物の「硬さ」や「減衰(揺れの収まりやすさ)」を調整してきました。しかしこのダンパーは建物の「重さ」の調整を可能にしました。慣性質量ダンパーの登場は構造設計に革命を起こす可能性をも秘めていました。

 

 

慣性質量ダンパーとは

地震時の建物の動きに応じて伸び縮みすることでエネルギーを吸収する点では、他のダンパーと変わるわけではありません。ただ、非常にユニークな特徴があります。それはあたかも建物に「重さ」を追加するような効果があることです。

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機構

慣性質量ダンパーの一端は太い筒状となっており、非常に重量が大きいです。そしてもう一端は細い鋼製の棒状で、棒にはネジが切ってあります。ダンパーが伸縮することで、この棒状の部分が筒状の部分に出たり入ったりします。

 

このとき、棒にネジが切ってあるので、筒が回転することになります。回転部分に粘性体(ドロドロ、ネバネバした物体)があるため、これによりエネルギーを吸収することができます。

 

しかし、本当に重要なのはそこではありません。ネジ山を細かくすることで、棒の動きに対する筒の回転変形が数十倍にも増幅されるようになっていることです。少し棒状の装置が動いただけで、筒状の部分が高速でブンブンと回転し出すのです。

 

テコの増幅効果

テコの作用は多くの方が知っているでしょう。テコ比を1:2にすれば、半分の力でオモリを持ち上げることができます。その代わり、テコを動かした分の半分だけしかオモリは動きません。

 

では、テコの先端にバネを付けた場合はどうなるでしょうか。テコ比を1:2とし、テコ比が1の方にバネを設置します。テコ比が2の方を手で20cm動かしてやると、バネにはその半分である10cmの変形が生じます。

 

10cm伸びた分の力がテコ比1の部分に生じているということは、テコ比2の方ではバネを5cm伸ばす力だけ加えていればいいことになります。20cm動かすのに5cm分の力でいいということは、あたかもテコによりバネの硬さが1/4になったように感じられるということです。

 

なんだか狐に化かされたような感じでしょうか。しかしこれは事実です。テコに設置されたバネの硬さは、元のバネの硬さのテコ比の2になります。バネをテコの反対側に設置すれば1/4倍ではなく、4倍の硬さになるということです。

 

前置きが長くなりましたが、慣性質量ダンパーではこの効果を利用しています。つまり、筒状の部分の動きが数十倍に増幅されているということは、その2乗の1000倍、2000倍という効果を発揮するということです。そして、ここで増幅されているのは筒の「重さ」です。

 

装置自体は数トンも重量は無いでしょうが、建物の振動に与える影響としては5000トンを超えるものもあります。

 

慣性質量ダンパーを用いた振動制御の研究

建物の振動を司るものとして「重さ」と「硬さ」と「減衰」の3つがあります。「硬さ」や「減衰」はブレースやダンパーを設置することで構造設計者が調整することができました。ただ、「重さ」に関しては建物の規模や構造によって大部分が決まってしまい、調整ができませんでした。

 

そのため、「重さ」は変わらないものとして、「硬さ」や「減衰」の設定方法や最適化の方法についての研究が行われていました。それが、慣性質量ダンパーの登場により「重さ」を含めた全ての要素が調整可能になったのです。

 

このダンパーの開発からしばらくたった2010年代前半頃でしょうか、日本建築学会で慣性質量ダンパーを取り扱った発表の数が激増しました。一種のブームと言っていいかもしれません。そのときの研究は大きく2つに分けられます。

 

モード制御:日本大学石丸先生派

日本大学の石丸先生を中心として、建物の振動制御に関する新しい試みがなされました。複雑な揺れ方をする高層ビルを、慣性質量ダンパーを用いることで単純な揺れ方しかできないようにできることが示されました。

 

高層ビルはその階数に応じて1次モード、2次モード、3次モード、・・・といくつもの揺れ方があり、地震時にはそれらが複雑に混ざり合います。それをこのダンパーによって制御することで1次モードだけにしてしまえるというのです。

 

そして、単純になったところを新たに通常の制振ダンパーを追加して、揺れを止めようというものでした。

 

変位増幅装置:東北大学井上先生派

建物の全体ではなく、ダンパーの動きを制御しようという研究が東北大学の井上先生を中心として行われました。

 

「重さ」があるということは、そこに新たな「振動系」が形成されたということであり、その系をうまく揺らしてやることで効率よくダンパーにエネルギー吸収をさせられるというものです。小さなダンパーでも、その動きが何倍にも増幅されれば大きなダンパーに匹敵するエネルギー吸収を行うことができます。

 

2018年現在

どちらの先生のアイディアも素晴らしいものです。ただ、最近は発表件数も落ち着いてきました。

 

モード制御の方は、理論上は非常にうまくいきますが、実際の建物は不確定要素が多過ぎます。「重さ」や「硬さ」もかなりのばらつきを持っています。モードを制御するという行為は、少し建築には繊細過ぎるのかもしれません。

 

また、エネルギー吸収を他のダンパーに頼る点も、経済的にはマイナスです。地震力が大きくなると慣性質量ダンパーの力に制限がかかるのも気になる点です。

 

恐らくまだ実際の建物には適用されていない技術でしょう。

 

変位増幅装置の方は、実際にいくつかの建物で適用があるようです。ただ、小さな制振ダンパーで大きな効果が得られるのはいいのですが、振動系を構成するためには別の部分でコストが掛かります。

 

難しい理論を使い、微妙な調整を施工時に行う必要がありますが、何も考えずに大きなダンパーを設置した場合とあまり効果に差が見られません。またコストについては大量生産されていないため、むしろ高いかもしれません。

 

当初期待されたほどの成果は上がっていないように思われます。

 

慣性質量ダンパーの旗振り役:清水建設

慣性質量ダンパーと言えば清水建設です。開発当初はまだ何ができるかよくわかっていませんでしたし、本当に効果があるのか半信半疑の技術者も多くいました。そのため他のスーパーゼネコンは様子見と言った感じでした。

 

しかし清水建設は日本大学、東北大学の両研究室の卒業生を採用し、積極的にプロジェクトに適用しています。特許も多く取得しており、慣性質量ダンパーに関しては一歩も二歩も他社をリードしています。

 

なんだか面白そうな技術ではありますが、実際のところはどうなのでしょうか。何でも面白いことをやってみるのが清水建設なので、効果は二の次なのかもしれません。今後の展開に注目していきたいと思います。

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