バッコ博士の構造塾

建物の安全性について本当のプロが綴る構造に特化したブログ

月に家を建てよう:重力が無くなると家の構造はどうなるか

「重力が無ければなぁ」、これは構造設計者より、構造設計者に「できません」と言われる意匠設計者の方が感じることかもしれません。

 

□■□疑問■□■

将来人間が地球外の惑星に住むとしたら、その家はどのような構造になるでしょうか。重力が小さくなれば、非常に軽快なフレームの家が実現できそうな気がします。

 

□■□回答■□■

地球上の建物は重力による「縦」の力と、地震や強風による「横」の力の両方に耐えなくてはなりません。重力が小さくなれば縦の力から解放されることになり、いろいろなことができるような気がしてきます。しかし、横の力である地震は重力の大きさには関係がありません。錯覚してしまいがちなポイントですが、重力が小さくなっても「質量」は変化しないのです。地面の動きが同じであれば、地球も月も火星も関係無く、建物に生じる地震の力は同じです。そう考えると、思ったほど線の細い建物はできないでしょう。

 

 

地震を考える:宇宙空間でも「質量」はある

月の重力は地球の約1/6、火星の重力は地球の約40%です。重力により柱や梁に作用する力はその分だけ単純に地球上より低下します。これは重力が小さいため「重さ」が小さくなっているからです。しかし「質量」が小さくなったわけではありません。

 

中学生の頃、「重さ」とは「ばね測り」で測った重量、「質量」とは「天秤」で測った重量、と習ったのを覚えているでしょうか。教える先生によって教え方が違うかもしれませんが。「重さ」は測る場所で変化し、「質量」は測る場所によらず一定です。

 

地球上で垂直に1mジャンプできる人は、月に行けば6mジャンプできるようになります。これは飛び上がる速度が増したわけではなく、月の重力が弱い分だけ速度が低下しにくいからです。

 

つまり、地球上で時速100kmのボールを投げられるピッチャーが月に行っても、投げられるボールは時速100kmです。もちろん重力以外の条件も違うので一概には言えませんが、少なくとも時速600kmのボールを投げられるようになるわけではありません(エネルギーの話なので√6倍の時速245kmの方が例として適切ですかね)。

 

物体を動かすのに必要な力は「重さ」ではなく「質量」に比例します。つまり、建物が見た目に軽くなったように思えても、地震の力は地球上と同じであるということです。

 

中低層建物の多くは重力よりも地震力に対する設計によって柱や梁が太く、大きくなっています。重力が小さくても日本と同程度の地震が起こるのであれば、建物の構造に大きな変化はなさそうです。

 

超高層建物も地震に抵抗できるようにするには、あまり地球上と変わらない太さの柱が必要になるでしょう。しかし、地震力を負担するブレースを追加し、建物を硬く、強くすれば柱は重さを支えることに集中できます。重さは地球上より小さくなるので、柱をある程度細くできるでしょう。

 

床の振動を考える:居住性も重要

事務所ビルなどでは柱と柱の距離が20m以上離れている場合があり、梁のせい(高さ)は1mを超えるものになります。これは床の重さを支えるとともに、変形が大きくなり過ぎないよう硬さを確保するために必要です。

 

重力が小さくなれば、上記問題は解決できそうです。ただ、人が歩く際に生じる衝撃等により床が振動するのを防ぐためにも、硬さは重要な役割を果たします。使用者が歩行による振動を気にせず、快適に過ごすにはある程度の大きさの梁が必要かもしれません。

 

「重力が小さければ歩行による衝撃も小さいのでは」と言われるとそんな気もしますが、データが無いので何とも言えません。また、空調設備などの機械振動もありますので、あまり梁を小さくし過ぎると不具合が生じそうです。

 

重力だけで部材のサイズが決まっている個所は意外に少ないのかもしれません。

 

減衰を考える:空気の有無も影響

地震もなく、居住性も気にしなくてよい建物があるとします。この建物は地球上の建物に比べ細い部材で構成され、重さも非常に軽くなるでしょう。宇宙ステーションのような感じでしょうか。

 

こういう無駄のない構造は減衰(揺れの収まりやすさ)が非常に小さくなる傾向にあります。無駄なもの同士が擦れたり、引っかかったりすることで減衰が生じるからです。減衰が小さいということは、いったん揺れが生じるといつまでも揺れが止まらない建物ということになります。

 

恐らく地球上ではほとんど影響は無いでしょうが、減衰が極端に小さく軽い構造物であれば空気抵抗も重要な減衰要素となるかもしれません。空気が無いことで、ただでさえ小さい減衰がさらに小さくなります。もしかしたら空気の有無で設計が変化するかもしれません。

 

とはいえ、軽くて柔らかいものであれば減衰を付加する、つまり揺れを止めるのは簡単です。何せ空気抵抗くらいのものですから。骨組同士の接合部分に「粘弾性体ダンパー」と呼ばれるゴムのようなエネルギーを吸収する材料を挟んでやれば十分でしょう。

制振・制震ダンパーの種類と特徴:構造設計者が効果を徹底比較

 

そもそも論:プレハブという考え

地震の影響はどうだろう、重力が無いからと言って部材を小さくしてもいいのか、などと考えてきましたが、そもそも地球外で誰が真面目に一から家を建てるでしょうか。普通に考えると、地球上で造ったものを持っていく方がよほど理にかなっています。

 

折り畳み式なのか組み立て式なのかはわかりませんが、プレハブの、規格化されたようなものが運搬上も合理的でしょう。まだまだ先が長い話でしょうが、遠い(意外に近い?)未来に思いを馳せるのはエンジニアとして重要なことです。