バッコ博士の構造塾

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耐震偽装事件:姉歯建築士の構造設計を再考する

2005年の11月に、姉歯元一級建築士が建物の安全性を検証した「構造計算書」の偽装を行っていることが明らかになりました。

 

□■□疑問■□■

耐震性が国の基準を全く満たせていないといった報道が当時なされていましたが、2011年には東北地方太平洋沖地震が起こっています。実際に被害は出たのでしょうか。

 

□■□回答■□■

東北地方太平洋沖地震において、件の建物がある関東地方では震度5弱、または5強の揺れでした。建築基準法ではこの程度の揺れに対し「損傷しない」よう求められています。この地震により大きな被害が出たとの報道はされていません。「ひび割れ1つない」と言った真偽不明の噂もあります。ただ、偽装のあった建物は補強が施されていたものも多く、元の状態でも耐えられていたか定かではありません。2016年の熊本地震クラスの地震があって初めて本当の判断が下るでしょう。少なくとも、彼が優秀な構造設計者でなかったことは確かです。

 

 

耐震偽装事件とは

構造設計を専門とする一級建築士が構造計算用のプログラムの計算結果を改竄し、行政や指定期間が行う確認・検査をすり抜けました。その結果、国の耐震基準に満たない、つまり地震に対する安全性が確保されていない建物が建てられました。一般的な建物に比べ、著しく鉄筋の量が少ない設計となっています。

 

裁判所の最終的な判決として、構造設計を行った姉歯元一級建築士の単独犯行と結論付けられました。マスコミによりセンセーショナルに報じられたことで大きな社会問題となり、現在の建築士制度にも影響を与えています。

 

耐震偽装事件が明らかになった当時、この問題を論じることができるほど知識も経験もありませんでした。事件から13年が経ちましたが、まだ建物が残っており問題は収束していないことから、再考するに至りました。

 

なぜ偽装建物は倒れなかったか

「震度5強で倒壊の恐れ」と報じられたものの、東北地方太平洋沖地震による大きな被害は報告されていません。なぜ倒れないのか、なぜ損傷が小さいのか、可能性としていくつか挙げてみました。

 

構造計算の曖昧さ

事件当時の報道で、同じ建物に対して「震度5強で危ない」、「いや、震度6弱くらいなら大丈夫」など、いろいろな見解が乱れ飛んでいました。「建物に強さが2つも3つもあるわけがない、なぜ統一した見解が出ないのだろう」と不思議でした。計算する人によって結果が変わることに納得がいかなかったのです。

 

建物が壊れるかどうかを検証するには「保有耐力計算」「限界耐力計算」「時刻歴応答解析」のどれかを行う必要があります。しかし、どの計算方法も結局は「倒れないと思われるレベル」を提供してくれるに過ぎません。また、各計算を行う際にはいろいろな仮定を行いますし、計算方法によっても結果が変わります。

 

そもそも建築基準法に「震度5強の地震力はこれ、震度6弱はこれ」と定められているわけではありません。建物が「倒れる」というのは非常に複雑な事象であり、簡単に「この数値に満たなければ倒れる」といったことは判断できないのです。

 

おそらくマスコミにコメントした建築士も「かもしれない」「可能性がある」と言った表現を使ったのでしょうが、「震度5強」や「震度6弱」といった数値が一人歩きしたのではないかと思います。可能性としてはゼロではないというだけで、誰一人断言することなどできないのです。

 

構造計算に含まれない余裕度

構造計算における一般的な仮定として「コンクリートの引張強度はゼロ」というものがあります。鉄筋コンクリート造では「引張に弱いコンクリートを鉄筋が補う」という考え方の下に設計を行っています。実際にはコンクリートと鉄筋の力の分担は複雑ですが、そう仮定することで設計が明快になります。

 

もちろんコンクリートは引っ張る力に耐えることができます。圧縮する力に比べると、その1/10以下しか耐えられませんが、とても人間の手で引きちぎることなどできません。特に鉄筋の数量が少ない場合、コンクリートの引張強度に期待する部分が大きくなります。

 

他にも、コンクリートの床はどこまで梁の強さに影響を与えるか定かではありませんし、計算上存在が半ば無視される壁も存在します。また、実際のコンクリートの強度は設計時に想定した強度よりも大幅に大きくなることも多いです。

 

構造計算をすれば全てがわかるということはありません。

 

姉歯元一級建築士は優秀か

姉歯元一級建築士は「震度7や8でも十分耐えられるはず」や「数値が基準に満たなくても、耐震壁を使って耐震性能に優れているため、偽装とは思っていない」といったコメントを残しています。

 

東北地方太平洋沖地震での被害が小さかったことから「国の基準ではなく、独自の基準で経済的な設計を行った優秀な建築士」というような評価が一部でなされています。間違った評価が広がらないよう、専門家がしっかりと間違いを正す必要があります。

 

コメントの訂正

これは多くの人が気づく点ですが、「震度8」はありません。一般の方でも指摘できるレベルのミスで、専門家ではありえないでしょう。このレベルの建築士が「数値が基準に満たなくても云々」とは噴飯ものです。

 

「耐震壁」が耐震性に優れているのは事実です。耐震壁が適切に設計されていれば、ラーメン構造(壁が無く、柱と梁で地震に耐える構造)にはない強さを発揮できるでしょう。

 

構造を専門とする建築士であれば「計算上の強さ」と「実際の強さ」は違うということを知っています。しかし、「実際の強さ」は数値化が難しいから計算上取り扱えないのであり、それを見込むということは「勘」で設計しているということです。

 

「勘で設計できるなんてすごい」でしょうか?自分の設計した建物が震度7に遭遇したことのある建築士など稀です。実際に何度も何度も地震に倒されて、初めて体得できるのが「勘」でしょう。

 

建築基準法の数値は「過去の大地震における被害状況」を鑑みて設定された先人たちの「勘」の集合です。どちらの「勘」が正しいか明らかでしょう。

 

東北地方太平洋沖地震での揺れ

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震のマグニチュードは9.0Mwで日本の観測史上最大ではありますが、関東地方の揺れが観測史上最大であったわけでは全くありません。あくまでも震度5強であり、建築基準法では「損傷しないこと」を求められるレベルです。

 

実際、現在の基準を満たしていない古い建物であっても被害は小さく、倒れなかったからと言って胸を張れるような揺れの強さではありません。しかも補強が施された建物もあるため、元々の設計でも被害が無かったかは判断できません。

 

確認審査機関の責任

最後に1つ触れておきたい話題があります。姉歯元一級建築士に設計を依頼した施主が「国が定めた建築確認検査の制度上の欠陥も問題だ」とコメントした件です。

 

姉歯元一級建築士は「地震の力を半分にする」という、明らかに偽装だとわかる行為を繰り返していました。最も気を付けて確認すべきポイントであり、それをやらないのであれば書類の体裁を確認しているだけと言われても仕方がないでしょう。

 

聞いた話で恐縮ですが、問題発覚前にある建築士が内密に計算書のチェックを依頼されたそうです。一目見て、「これ地震力が変ですね」とコメントしたとか。不思議はありませんね、それだけ異常な事態ですから。

 

構造設計を行う建築士のレベルの向上とモラルの向上、その両方が必要だったのでしょうが、事件から10年以上たった今、どこまで改善されたのでしょう。